100段階段コラム ~エピソード2.百段階段の伝承~

エピソード2.百段階段の伝承

作:小泉 雅生(建築家)

百段階段お百度まいり

100段階段の上にある円筒形のベンチは、実は百度石だったという説があります。人知れず下のベンチ(0段目)との間を百回往復し、登るたびに円筒の頂部(100段目)に触れて願をかけると、いつしか願いが成就する、とか。ベンチは二つなので、二人で一緒にお参りするのもいいかも。あれっ、それじゃ人知れずにならない・・・。(絵:こいずみきょうこ)

ユリノキ引力の法則

100段階段の44段目は、ユリノキ通りを挟んでたまプラーザ団地のジャブジャブ池と同じ高さにあります。その昔、さる物理学者が、44段目とジャブジャブ池から夏ミカンを転がしたところ、坂道と階段を下って同時にユリノキ通りに着いたことから、坂のまちにおける町内活動はユリノキ通りに集まる、というユリノキ引力の法則を導き出しました。現在でも、ユリノキ通りには中部自治会館があり、年に2回、住民による清掃活動が行われています。

天のサクラ橋立

その昔、若者が100段階段に腰掛けてまちを眺めていると、下から杖をついたおばあさんが登って来ました。でも、おばあさんは途中で疲れて、踊り場に座り込んでしまいました。見かねた若者が、上までおばあさんをおぶってあげると、おばあさんは丁寧に礼をいい、杖を一振り。すると、あれよという間に遊歩道は満開の花ざかりとなりました。おばあさんはいつの間にか天女に姿を変え、天高く飛び去りました。今でも春になると、天に向かって伸びていくかのような桜並木が楽しめます。(絵:こいずみきょうこ)

消えた38段目

かつて100段階段の38段目は、道路際の縁石の上にできた小さな段差でした。舗装を改修する際、斜めにならされて段差は吸収されてしまいました。そこで、地方自治法百条に基づく百条委員会ならぬ、「百段委員会」が開催され、車道の縁石の段差が新たな38段目として認定されました。

「旧38段目」は、縁石の上の小さな段差だった (Googleストリートビューより転載)

“百段委員会”は、車道の縁石の段差を「新38段目」に認定^^

どんなことでも真剣に議論を重ねる”百段委員会”

踊る太鼓橋

ユリノキ通りをわたる太鼓橋は、100段階段の2つめの踊り場(22段目)につながります。その昔、満月の夜、太鼓橋でタヌキが太鼓腹をたたいていると、どこからかとハクビシンがやってきて、リズムにあわせて踊り場で踊りはじめた、とか。今でも、町内でタヌキやハクビシンが目撃されています。(絵:こいずみきょうこ)



美しが丘百段屋敷

昔、太鼓橋の下に蕎麦屋があったとさ。階段をいちだーん、にだーん、さんだーんと数えながら登っていき、八段目まできたところで、蕎麦屋の親父に「今何時でぃ」と聞くと、「へぃ、九つで」。十段、十一段とさらに数えながら登っていくと、百段のはずの階段が、なぜか百一段に。あなおそろしや、百段怪談。

出会いのベンチ

100段階段のゼロ段目には円形に囲むベンチ、100段目には二つ並びのスツールがあります。下のベンチで出会った二人が、上のスツールで結ばれる(?)ことをイメージして、出会いを生み出す「少子化対策ベンチ」として整備されました。まちの風景と出会う眺望ポイントとして、健康づくり歩行者ネットワークにも寄与しています。

見守り桜

100段階段の63段目は、國學院幼稚園の正門につながる踊り場となっています。その中ほどには見事な桜が2本。園児を見送ったお母さんが、しばしの自由を謳歌しようと思いつつ、子どものことが気がかりで木の陰から見守ることから、いつしか「見守り桜」と呼ばれるようになりました。美しが丘小学校の児童も、この桜の木の下で、毎朝ボランティアに見守られながら登校します。